2009/06/03

九条の会講演会 加藤周一さんの志を受け継いで

今日はアメリカの大学教授と学生たちと一緒に藤田幸久議員の事務所を訪問した後、バンクーバーの聡子さんと「九条の会講演会 加藤周一さんの志を受け継いで」に行ってきました。

2000名を越える参加で満員御礼。年配の方が多かったけど、若い人の姿もちらほら。右翼の街宣車は思ったより少なく、これも不況の影響かしら?と思ったり。

「九条の会」は日本全国で現在、7443もあるそうです。すごいですね。

この日の講演者は作家の井上ひさしさん、大江健三郎さん、パートナーの矢島翠さん、途中、「さくら横ちょう」という歌が入り、憲法研究者の奥平康弘さん、作家の澤地久枝さん。最後に事務局長の小森陽一さんのごあいさつでした。

以下、聞きながら自分のためにとったメモをアップします。聞き違いの責任は私にあります。
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井上ひさしさんのお話:

今日の僕の持ち時間は20分。右翼の雑音の中、きてくれてありがとう。僕は昭和9年生まれだから、9条にぴったりだね。

戦争中、僕の町に国民学校の墨田区の生徒がやってきた。都会の子が田舎に疎開していじめられた、という話が残っているけれど、僕の町はそういうことはなかった。150人の子どもたちが疎開して来たが、町の一件一件が仮の親になって一緒にご飯を食べたりした。お寺に子どもたちが疎開していたが、東京の子どもたちとすぐ仲良くなった。

東京の子どもたちは田舎の子どもには手に入らない本を持ってきてくれた。彼らの気に入るようなことをやらないとその本を見せてもらえない。文化的に非対称だった。おにぎりをあげたり、いろいろなことをしながら、気に入られようとした。

一人スゴい美少女がいた。縁故疎開で来ていた少女。彼女を守らなくてはいけない、と少年たちが30人もぞろぞろ彼女のあとをついて行く。学校に行く時もあとをついていった。それが後の白川由美。彼女が我が家の隣の家に疎開した。我が家に松の木があったが、隣の家を覗き込むためにみんなやってきた。

私の家が仮親を引き受けた後藤さんと言う少年。墨田区の鉄工所をやっていたが、そこは軍事工場にされた。空襲で両親が亡くなった。3月に国民学校を卒業すると一度墨田区に帰ったが、その後もう二度と帰ってこなかった。空襲で死んでしまった。子供心にショックだった。

加藤周一さんの書いたものは、大変な知恵が詰まっている。僕はワインは赤か白かロゼか3種類しかわからない。けどソムリエは千通り見える。そういう少年だということがわかった。読む人が読むとわかる。知恵が埋まっているのが彼の本。

僕は少年時代の友だちを戦争で失ったし加藤さんも戦争で友だちを失っている。岩波原題文庫の「私にとっての20世紀」の中の一節にこんなのがある:

「私が徴兵を受けなかったのは肋膜炎のお陰もあるのですけれど、医者だったからでしょう。若手の医者はどうしても病院に必要だったから。自分は偶然生き延びた。何の理由もなく私の友人は死んでしまった。私の友達を殺す理由を、正当化する理由をそう簡単に見つけることはできない。

だから戦争反対ということになるのです。

東大の付属病院の助手をしていたころ、病院ではたらいているとき友だちは死んでいく。決して彼らが言わなかったことは言わないし、彼らだったらぜったい黙っていなかったであろうことを沈黙しておかない。戦争を肯定してはいけない。それは友だちに対する一種の裏切りになる」

加藤さんのユーモアで最高なのは、これ。

「国家への忠誠?国家の主張する善し悪しは10年もすれば逆転しますパリ不戦条約をまとめた国際連盟のまとめやくだったのに、15年戦争は聖戦だったのが、15年後は侵略戦争。」

確かにそうだ。かつて100年安心年金計画、今じゃ年金崩壊。
働き方の多様化(5、6年前)→覇権切り、

「国家が主張する善し悪しは10年もすれば逆転してしまう」
国家に合わせて自分が変わるのは無理、という考え。

これは友人関係とは違う。けんかしたり、別れたり、なつかしくてまたあったりしながら、続く。勉強になる。それが人生の幸福。本当の友だち関係は変わらない。政府の言っていることは10年単位でごろごろ変わる。それに合わせることはない。それはやめましょう。

生き延びたものより、いろんなことができた人が、誰かの号令、誰かの道具になって死ぬ。彼らが言わないことは言わない、彼らが黙っておれないことは言う。

今回こういう集まりで加藤周一さんの志はたくさんあって、今日のために拾い上げるとすると、このこと。
本当の友人関係は裏切らない。でも政府の言うことはころころ変わる。
善し悪しの判断は裏切り、ということ。亡くなった友だちを裏切ることはしたくない。

私もこれに少年時代の友だちの関係を重ねて、彼らを裏切ることができない。
憲法9条と25条は親友中の親友。
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大江健三郎さんのお話:

多くの方に参加していただいて心強くありがたく感じています。私も深い思いがある。先月の9条の会発足の講演会が告知されていた。朝日新聞にコラムを書いていた。国宝阿修羅展。釈迦の十大弟子像に感銘を受けたことを書いた。

このところ、私のコラムには反応がなかったのに、いくつもの反響があった。それはすべて加藤周一の名前をあげていた。すぼだい、らぼら、という壮年と青年のお坊さんに感銘。具体的に見いだすようだった、と。

10人の像の周りをめぐったのだけど、その中に加藤周一さんの表情を見て取ったのではないか?と。阿修羅像はとても混雑しているので、あなたをみることにして、あなたのまわりについていくことにした。

加藤さんが知的で静かで美しい人だった。

50年間に出会った人たち。

その実物を初めてみた奈良の興福寺の仏像の写真を50年前に手に入れて感銘していた。そのときどういうことを感じたか、1300年前につくられた像に実在のモデルがいたに違いない。今こういう人物を見つけることができるだろうか。

どういう人か。
10人ではないが5人、
知的で静かな顔かたち、みんな老年になって悲しみの表情。お会いして尊敬しているイメージ。それを見た。

私自身が老年で、知的でも静かでもなく
須菩提(すぼだい)に深い感動:加藤周一さんの面影、とその生涯のお仕事。評論活動の対象にする文学者、思想家を丹念に読み上げ、総合する。筑摩学芸文庫の「日本文学史序説」。大陸文化との出会いによって、日本の文学が転換期を迎えてたことが重要。日本独自のものと、外国文化との出会いに寄って転換期を迎え、新しい文学をつくった。それ以降の熟成を描き出したもの。日本文学をやる学生は読むべき。

9、10、11世紀。中国の社会に入って生活するような努力をして、中国語の文章を書くことに。そして新しい日本語の文学をつくった。日本に仏教をもたらした空海、菅原道真。日本の次々の転換期。仏教を通じて、西洋を通じて、明治の転換期。近代化(第4の転換期)森鴎外。西欧人と生活を共にした知識人。第5の転換期(戦後)、加藤周一さんが森鴎外にあたる。

石川啄木を強く押し出した。(NHK)明治維新から出て来た人というより、その次の人ととらえた。

日露戦争

蟹工船(この辺、眠ってしまってメモがない)


核廃絶は自分が死ぬまでには無理だろう。でも本気で、戦争をしない、軍備を持たないという憲法の原理を確実に実現するというのを示し、周辺の国に示すなら、本当の信頼をつくることになる

その進行をするためにこれだけの数の方が集まっていると思う。喜び。
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矢島翠(加藤周一さんのパートナー)のごあいさつ:

物書きはエゴイスティック。今が自分がしている仕事とこれからする仕事が大事。加藤の最晩年には、そうではなくむしろ実践活動に比重が移るようになった。

横で観ていて、小田実さんならするだろうけど、加藤がよくそこまでしたな。と。

次々に起きた事件のせい。

アメリカの東部に起こった「同時多発テロ」
アメリカの「テロ」という言葉に同調して、日米安保条約の元でテロ特措法
米軍、英軍の後方支援を始めた
海上自衛隊の給油活動が始まる
昔戦って負けた国の援助を、向こうの言う通りに、テロと言う言葉を信じて。
アフガニスタンの、イラクの闘いを援助した。

2002年にブッシュが「テロとの戦争を宣言」してから後方支援する。
ビンラディンを発見できず、大量破壊兵器も発見できず終った。

加藤はそれをみて、大変な危機感をもった。

日本の憲法こそが人類の理想の先取り
どうにかしなければならない

それを阻止しなくてはならない、という理由で、この9条の会のアピールをみなさまに呼びかけた。5年前の6月に発足。

そして、そのときのアピールを取り出して読むと、
「日本国憲法は大きな試練にさらされています」
ますます、という言葉を補わなくてはならないけれど。

人類の日本の先取りと加藤はいったけど、さらに徹底させなくては
外国人の理解も得て、人類の理想の先取り、ということをみんなが納得しなければならない。

広島長崎の核兵器によって戦争が終わったとき、武力で解決しないという純粋な願望が日本人の中にあった。

物書きのエゴイズムから抜け出して、9条の会を広める運動に邁進した。

一人一人生きて、暮らして、ものを考えて、そういう人が手をつなぐというゆるやかなネットワークをつくる、という狙いは達成できた。その狙いを達成したあと、どうやってますます活かしていくか。

権力側は、もう憲法の改正は既成事実。
改憲手続き法。強行採決、安部のとき。来年5月からすぐに国民投票にいくように宣伝している。

世界の理想であった憲法をどうやって、新しく、緩やかなネットワークの中で活かして、根付かせていくか。それができたら、加藤の遺志は達成できると思います。
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歌:加藤周一さんは詩も書いた
さくら横ちょう ソプラノ 大橋ゆり ピアノ 村上弦一郎
作曲:別府定夫
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奥平康弘さんの話:加藤さんは10年先輩。巨人。スゴい人。9条の会講演会に年譜がある。真ん中からちょっと横。1958年秋、アジアアフリカ作家会議。学殖の豊かさ。中国の知識はなみなみ成らぬ。堀田ぜんえいさん、ヨーロッパの知識が豊富。

そのような加藤先生について何か人の前でしゃべるなんてことは、おこがましい、想像の外にある出来事。こういうことが可能になっているというのは、僕が9条の会の呼びかけ人のひとりになっていた、という状況があったから。そういうチャンスを通じて、通常なら接触しえない大先生と接触できた。9条の会のおかげ。そして大いに影響を受けた。

僕は憲法研究者であるけど、憲法にはいろんな専門がある。90年代までは僕には9条は関係ない、と思っていた。自衛隊法とかね。90年代以前の憲法学はあまり面白くなかった。自衛隊が違憲か護憲か、という議論は解釈として限られていた。

僕は違ったことをやっていた。90年代以降の変化が僕を9条に近づけた。戦力不保持だけではなく、自衛隊がどのように機能するか、働きをどうするか、湾岸戦争を遂行する中で日本国憲法をどうするか、などがまわってきて、今世紀の中で総括をしたなかで、集団的自衛権は憲法の解釈の中でできる、となってきた。

それまでは我が国の領土の中で防衛するのは可能、決して海外には出て行かない、という範囲だった。

9条を愛する、自衛隊を愛する、という人がでてきた。
我が国の固有な領土に限って必要最小限の軍備ということで。

そんなものがぶっとんだ。今や集団的自衛権もできるし、青天井。装備も何でもできる。それが憲法の解釈でできる、というのが90年の終わりから今世紀にむけてあった。

そのことを文化人としてどう考えるのか、というのがあって、9条の会をつくろう、ということになり、1人ぐらい憲法学者が必要だろう、ということで、僕が入った。(でも僕である必然性はなかった)

文字として書かれたものはそれは解釈が確率されるべきであると同時に、それがどのように変わって行くか、も大事。

この2、3年の動きは信じられない。

たとえば9条世界会議、
こんなこと、以前ならなんて考えられない。
向こうも展開しているけど、こっちも世界に向けて展開している

加藤先生について何をどう学んだかは時間がないので話しません。

民芸が主催する演劇で加藤先生と僕が招待されたとき、ご一緒した。
そのときのことを後から思い出している。
サザンクロスシアターで行われた、木下順二の審判、(東京裁判)だった。
東京裁判は田母神さんによって、ぼろくそにやられているらしいが、僕は彼と議論したかったなあ。

木下さんは苦労してこれを描いた。
裁判権はどこから?権力はどこからくるの?自分では権力はつくれない。
どっからどのように説明するの?
人類に対する罪?それは昔からあった?
法はどこからきたの?

ある弁護人(被告側)広島、長崎のような原爆を落とした国が人類に対する罪を問うことができるのでしょうか?と問う。

東京裁判と日本の民主化、日本の憲法の関係はどんなものだったのか?

答えはそう簡単には出て来ない。国際法、憲法、いろいろな問題がある。でも田母神さんは「すかっ」といっちゃう。非常に危険だと思う。わかりいいし。

本来難しい問題をわかりやすくして、食いつきやすいようにするのは大衆政治家のすること。「植民地責任ってなんだ?植民地支配ってなんだ?日本国はよかった。日本は侵略国家じゃなかった」、と。

こっちも言い続けないと知らない人は彼の言っていることを正しいと思ってしまう。
ことあることに叩かなくては。

今我々はトンネルに入っている。
へたすると、誠にそしゃくしやすい政治支配の正当性を向こう方にもっていってしまうことを加藤先生は最も恐れたのではないか。

木下順二の審判の芝居をみたあと、加藤先生がおっしゃったことを、明確に記憶している。

「こんなに難しい芝居をこんなにたくさんの人が観にきてくれるんだねえ」

感慨深げにおっしゃった
日本はまんざらじゃない、と。

彼にそう思わせた、私たちは「まんざらじゃない」と思わせた、そうするように、しましょう。
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澤地久枝さんのお話:

こんばんは。全国からおいででしょう。よくいらしてくだしました。

加藤さんは間口が広くて深い大変な存在。彼の若い頃の一冊の本をもってきました。『ある張れた日に』昭和25年3月、月曜書房から出版されています。渡辺一夫先生がお書きになった装丁で、6月25日に朝鮮戦争が始まった年ですね。私は、これは大人の小説で自分には縁がない、と思っていた。

亡くなられてからちゃんと読もうと思って、読んだ。

ある晴れた日に戦争は来たり
ある晴れた日に戦争は去った

8月15日は晴れていた

お医者様が主人公、東京大空襲でどんどん火傷を負った人がくる。ショックで気を失っている女の子が死んでいく
魅力的な青年が特攻で死んでいく。助けたくても助からないたくさんの人たち。蛇のような憲兵。いろいろな人が登場する。

私はまだ20歳になっていなかった。私には歯が立たない。ドイツ語やフランス語が出てくる。戦地ではなく、東京と軽井沢が舞台だけど、戦争に対する批判を持っている人間がいかに追いつめられているかがつぶさに描かれている。

そのとき朝鮮戦争が始まっていたけれど、私にはそのときは値打ちがわからなかった。

今日運命がつきるかもしれない。青年の気持ちを思いやることができなかった。
結核で、反戦の青年。彼の台詞に「天皇制を、やつらを今倒さなければ、やつらはまた武装する」と。

この小説を戦争で傷ついた若い日本国民に捧げる、と加藤さんは書いた。
その思いが、脳裏からするっとぬけていった。

今日は若い人も来ているけど、9条の会はどこいってもじじいとばばあ。
大江健三郎さんまで自分は老人である、というようになっている。

地域で若い人を増やそうとしている。

でもね、今から60年前の澤地久枝は聞く耳をもたない若い女性だった
ずれがあるのではないか。人がわかるまでは。

私も追体験で勉強してきて、戦争をしてはいけない、と思うようになった。

「あの人たちはなんで(こんなことを)?」と思っている若い人に橋をかけなくては。絆の役割をするのがみなさんの役割。

加藤さんは晩年、若い人たちと話した。下関に大学生に話をして、これからは老人と若い者が運動の中心にならなくては、と言っていた。それで早稲田で学生との交流会を持ったりしていた。

私は、加藤さんが万感をこめて書いたものを理解しなかった。
そんな馬鹿な女だって、時を経てわかった。
だから、今時の若いものは、なんて言わないこと。
今時の若いものが中心にならなくてこの日本は良くならない。

若いと言うことは石頭でなく、感性が柔らかいということ。
揺さぶれば、わかるような言葉で語りかければ理解する。

アメリカの経済は大変。
日本の経済、政治も深刻。
オバマ大統領の本音は「日本は日本国憲法の原点に戻ればいい」、と思っているはず。

ペシャワール会から号外が中村哲さんから届いた。1979年、ソ連が武力侵攻していらいずっとアフガンは内戦でずたずた。その上、温暖化でアフガニスタンの大地はどんどん砂漠化して生きていけない。100万を越える死者がでる、それを防ぐために、水路を造ることに。そして緑の小麦ができた、と伝えてきた。

アフガニスタンの砂漠で伊藤さんが亡くなったあと、中村さんはたった一人で重機をもってやってきた。そして答えが出た。緑の小麦ができた。日本人の寄付で16億円が集まった。政府の援助ではなくて。

私たちは力をもっている

東京を離れるとなんて日本は素敵なんだろう、って思う。
大新聞の地方支局が告知記事を書いてくれる。
東京では赤旗以外は一行も書かない、だから何も起きていないと同じ。
東京は一番温度が低い、でも地方は熱が高い、人と人のネットワークが広がっている。
地方のマスメディアは、その地域に住んでいる人たちを密接につながっている。そういうメディアがあるってこと。
東京は石原知事という人を度重ねて選ぶところ。日本は絶望的。メディアの犯罪行為。

メディアに頑張ってほしい。
日本の行方を左右するから。

憲法はまだ変えられていないけど、国民投票まであと1年?
軍事費5兆円のうち3兆円は軍備になっていく。

最後のギリギリでソマリアにいってうろちょろしている。愚かな欲張りが経済人が望んでいることは、軍隊を使いたくてしょうがない。今、ぎりぎりのところにいる。

6月2日は生きていたら小田さんの誕生日(70歳)だった。

彼は言った。市民運動は引き算ではいけない。一人が二人、二人が3人にしていかないと。

二人の人を失ったけど、今もっと仲間がいる。生存権、人権、もろもろ守ろうとすると、そのすべて気持ちをつなぐ「9条」を守るという一点になる。

それが亡くなった二人を生かすことです。

今の政治がいやだ、というのを選挙で示さなくては行けない
今後の衆議院選挙では反対だということを示すこと。
与野党逆転をしないと(一度は目をつむって)今度の選挙では勝ちましょう。

みんな元気で
うなだれないで
自身をもって
若い人と手を取り合ってやりましょう
加藤さんがやろうとして十分できなかったことを。

上手く話せなかったけど、給料5千円のとき定価160円で買った本です。これ文庫で出すべき。若き日の加藤さんが祈りを託した一冊。
戦争はどんなにすさまじいものだったか。
思いや生活や圧殺されていたか、を。

今本は手に入りにくい
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事務局長の小森陽一さんから:

2000名を越えた。ありがとうございます

財政が逼迫したことをみなさんに訴え、今年、募金活動を500万円を越えた
活動費500万円/年。一年間は生き延びる

今日現在、地域職場、など「9条の会」7443となった
小学校区でつくろう、と呼びかけてきた。この講演会を前に呼びかけ人会議を開いた。

今年の全国交流集会では開かず、ブロック別に開催する事務局とそれぞれの地域と相談しながらつくる、密度の高い交流をしたい。

9条の会セミナーは引き続き開催していく。
11月23日、9条の会セミナーは井上ひさしさんの出演が決まっている。

2007年11月の加藤周一さんのことばを引用

福祉の縮小、
教育、年金、
それらは関連
全体に反対することが大切
どうか
一緒にできることをしましょう
共に生きている、という思いで

ありがとうございます

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渡辺治
今、現にソマリアの海賊を対峙するということで自衛隊を派兵している。
世界どこでも海賊退治という理由で派兵できるように衆議院で通してしまった。参議院で否決しても、堂々衆議院で再可決する。

大切なこと:
安部内閣が『自分の任期中に改憲をする、改憲手続き法を強硬した憲法審査会が長くたっているのにまだできてない。この5月に憲法審査会をもう一度自分の手で発足させようと、衆議院に憲法審査会規定を出している明文改憲にもっていこうとしている。

6月11日自民公明は衆議院で憲法審査会を稼働させる規定を強行採決しようとしている。
解釈で9条の穴をあけ、明文改憲の試みを押しとうそうとする試みに注目しないといけない。

この志をどう受けついて具体化するのかを話し合いたい。
この会を一層大きく発展させたい。

それぞれの持ち場に帰って、改悪させないように何ができるか、を考えることから始めてください。


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